意識の乖離

 今いる環境は研究開発である。ハッキリ言って辛い。何が辛いかと言うと、その開発特有の意識の高さみたいなものである。

 

 自分は元々、現場(製造)出身である。「開発をするに当たって現場仕事ができる人材を入れたい」という思惑で徴用されたような経緯がある。現場にいた当時の自分からして開発に対して、あまりいい目では見ていなかった。どういう理由でいい目で見ていなかったかというと、現場を知らない(無知)ゆえにできる無茶な案件の一言に尽きる。工期、納期の確認もなしに「できるよね?」みたいな試験依頼は勿論のこと、自分たちが開発したものに関して、製造現場で起きることにはノータッチ(あとはそっちでなんとかして)といった姿勢に不信感が拭えなかった。

 そして、実際自分が開発に異動してからもそれは変わらなかった。現場を知らないがゆえに自由な発想で開発を続ける面々と、現場出身ゆえに現実を知っているため、そんな自由(無責任)なことはできない自分という構図である。さすがに多勢に無勢、自分一人では流れは変えられない。それでも「せめて現場と同じ手法(製造プロセス)で試験開発をしてもらい、現場(の苦労、問題)を知ってもらおう」と思っていたところに先日、「研究開発はどうあるべきか?」みたいな議題の討論会があった。内容を要約すると「現場仕事はしたくない」「そういうのは現場に任せればいい」「試験専用のプロセスを開発すればいい(現場には転用不可の技術を使えばいい)」等々の意見が飛び交った。ああこの人たちは現場を知る気はない、と諦観が強まった。

 

 今後もおそらくここは現場から厄介ごとを持ち込む部署と認識されていくのだろう。そして、「現場の人たちは非協力的、怠惰だ」とでも思い込みながら開発をするのだろう。そう考えると不安しかない。