節約と弊害

 育った環境が環境なだけに恐ろしく財布のひもが固かった。3年前まで金銭には相当厳しい部類であった。

飯は自炊が主。外食は月に1回程度とかなり自制していた。「プロに頼むより自分でやった方が安い」をまんま実践していた。

職場環境もあまりよろしくなく、業務で使うメモ帳すら予算が下りず、苦慮していた。

そんな要因も重なり金銭感覚が別の意味でねじ曲がっていた。

 

 が、そんな時ひとつの転機が訪れる。部署の異動である。それまでの環境と違い、予算の運用が緩かった。「生産性上がるんでしょ?だったら買いなよ」ぐらいなノリで次々承認が下りたため軽くカルチャーショックを覚えた。

 

 だが、それは第一段階。次段階がそれまでの金銭感覚を決定的に破壊した。

何が影響したかといえば、精神を病んだことである。圧倒的な業務負荷が原因で病んだ。予算の運用は緩かった部署であったが、業務負荷はそれまで以上であり、残業は月40時間を超えていた。加えて会社推奨の社外講座である。毎週土曜日に実施していた。当時は何の疑問も持っていなかったが、会社が費用を負担するとはいえ、土曜日にほぼ終日講座を受ける。実質週6日勤務であった。

 

 そんな過負荷で病んだ。結果、家事が滞るようになった。家に帰ると倒れるように寝る。そして、目は覚めるが体が動かない。立ち上がることすらしんどい。当然を飯を作るということなど困難であった。だが、それでもねじ曲がった金銭感覚で外食やら弁当を買うという選択肢は当時はなかった。自炊という無理を押し通した結果、洗濯機を回すことも、皿を洗うことも、風呂に入ることもしんどくなっていった。

部屋は汚れ、遅刻も目立つようになり、多いときは月6回以上遅刻をしていた。

業務にも支障を来すようになり、仕事中に動けなくなり休憩室で寝込むことも増えた。仕事に対するモチベーションは下がり続け、ふとしたキッカケで怒りが爆発し物に当たることも増えた。

 

 そんな状態が半年近く続き、「このままでは死ぬ」と最後に残った理性で病院に駆け込んでいなければ、今頃生きてはいなかっただろう。その後、異動により業務負荷が減ったため現在は回復し安定している。

 

 と、まあ死にかけた原因の一端が自分の過度な節約、金銭感覚だったことから、今は節約の類はやめている。

 

 教訓として、金よりも自分の時間の確保(生活負荷の軽減)が第一。時間を確保するために金は惜しむな。確保した時間で払った以上の金は得られるのだから、と今では反省、自戒している。