消費と破壊

 先日、ある記事で「消費より創造の方が低コストだ」との言説を見かけてから、色々と思うことがある。曰く”消費とは情報を処理し、自分の中に吸収する行為”だという。これ自体、エネルギーを消費する行為であり、自分の中にあるものを吐き出す創造の方がまだ低コストなのだという。

 消費という行為を意識したことはあまりない。だが「創造をしていたか」といえば、そうでもない。こういっては難だが消費者という自覚はなかったが、破壊者である自覚はハッキリとある。常に何かに怒り、それが破壊衝動として現れる。過去、仕事のストレスから、会社の備品を破壊する行為を繰り返していたことすらある。そういった面を振り返ると、破壊も消費の一つだったとも思えなくはない。

 冒頭で述べた記事には「想像したものを誰かに見てもらえる、褒めてもらえるということは消費することよりも大きな回復をもたらす」との主張もあった。正直、自分が飢えているものと同じである。普段、仕事を回し、褒められるわけでもなく、ケチを付けられることの方が多い自分からすれば、核心を突かれた気分である。

 今後は何か創造的なことを模索してみようかと思う。